The recommended inn for a hot spring trip to Aomori is a five-star inn with history and self-sourced flowing water.

青森の温泉旅行なら、飲める温泉がある人気の温泉宿「椿館」を是非ご利用ください。 こんにちは。青森の浅虫温泉にある老舗旅館「椿館」です。 NOTE:How to read 椿館:Tsubaki-Kan(Hotel name) 浅虫:ASAMUSHI(Place name) 浅虫温泉:ASAMUSHI Hot spring 自家泉源9本の源泉かけ流しの歴史ある温泉宿です。 当館の詳細は、ホームページをご覧ください。 さて、この冬は今のところ雪が少なく県内スキー場でのイベントも一部に中止が出ているそうです。 ご予定のある方は、お出かけ前にスキー場のホームページなどでご確認ください。 本日は浅虫温泉の歴史の序章(西暦1891年:明治24年まで)について少しお話をさせて頂きたいと思います。 浅虫温泉は、平安時代に慈覚大師(円仁)により発見されたとされています。 元々は、布を織る麻を蒸すためだけに使われていたのが、1190年にこの地を訪れた円光大師(法然)が、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て村人に入浴をすすめ、それ以来人々に利用されるようになったと言われております。 (想像するに、円仁様は画像の様なスタイルで青森に訪れたのでしょうか。) 出典:Wikipedia 温泉名も麻を蒸すことに由来し、「麻蒸」が転じて「浅虫」になったといわれています。 浅虫温泉は目の前には穏やかな陸奥湾が広がり、背後には豊かな山林があり四季の移り変わりをはっきりと感じることが出来、山海の幸が豊かな立地にあります。 そんな浅虫温泉ですが、明治元年(1868年)ごろまでの時代には、途中に善知鳥崎(うとうざき)という難所があって、まともな道が通じていなかったようです。 善知鳥崎(うとうざき)は断崖絶壁が海に突き出でており、崖伝いに岬の突端までいき、岩場に板を渡してなんとか通行するのか、海沿いのルートを通らず山越えするかしなければ通行出来ないことになりますため、明治初頭のトンネルが開通するまでの浅虫温泉は通る人がいなかった「陸の孤島」だったと思われます。 1876年(明治9年)に明治天皇が北海道へ巡幸するにあたり、浅虫温泉に立ち寄ることになりました。 当時、明治天皇は駕籠(かご)で、従者たちは騎馬で移動しており、善知鳥崎(うとうざき)の桟道の通過は危険すぎるということになったため、前年に断崖を穿つトンネルが掘られ、これにより牛馬の通行も可能となったそうです。 つまり、この明治天皇の巡幸のおかげにより、人が行き交う道が出来、浅虫温泉が発展したと思われます。 この時の、明治天皇をはじめとする御一行様は、岩倉具視公、大久保利通公、木戸孝允公、大隈重信公、徳大寺実則公等、まるで明治維新の時代劇にみる豪華キャストが揃って浅虫にお越しになり、その際、光栄にも当館「椿館」に、ご宿泊頂きました。 出典:明治九年六月二日 奥羽御巡幸万世橋之真景 歌川広重(三代)画 椿館では、天皇陛下及び大官御用室として、六畳二間に八畳一間の三室を提供したと記されております。 この他にも250名のお付きの方々と馬90頭が御一行様にいたとされています。 当時のことが昭和4年の東奥日報で報じられて「こちら」に抜粋を掲載させて頂いています。 その後に、トンネルの建設・拡張が行われて東北本線や国道4号線(旧奥州街道)が通じるようになり、弘前・青森方面から浅虫温泉を経て八戸方面へ青森県の東西を結ぶ重要な陸路となったのです。 1891年(明治24年)に東北本線が全通し東京と青森が鉄路で結ばれ、浅虫駅(現在の浅虫温泉駅)が開業して徐々に浅虫温泉が発展していったとされています。 浅虫温泉の歴史序章はここまで(次号に続く) 当館の自慢の温泉は、9本の自家泉源から湧き出る「椿の湯」は単純温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)で、肌の弱い方でもお楽しみ頂けます。また美容効果も有り、湯冷めしにくい熱の温泉です。露天の風呂も有ります。 県内の温泉で一番最初に飲泉の許可をとり、源泉料理などでご提供しております。 <当館自慢の温泉についてはこちら> 温泉で日頃の疲れを癒した後は椿館にて美味しいご夕食をお召し上がりください。Continued