HOME >> 棟方志功と椿館 >> 板散華

椿館と棟方志功画伯との出会い

板散華

 私のいる椿の湯宿に立派な庭がある。盛岡の庭師を引き具して、今の若い主人の蝦名氏の祖父が、精魂いれて造り上げたものだと聞いた。現在も先代の未亡人が一本一本の草を育て、そのように要らぬ雑草を摘んでいるのだ。
ここの湯名になったという大椿が離れて二株ある。一株は先年の冬、暴風雪に枝を取られて形をこわしたのは残念だが、布石の至妙はこの庭に名をなさしているのだ。

 明治天子様の御野立ちの場所は清浄され、柵されて、洩れる床しさを、外から拝して朝夕を、勿体なく、畏し普く、合掌している。

 この由緒の庭にいろいろの鳥が来て囀る。鶯も夏には来るというし、私は鳥の名は知らぬが、スッピッチョン、スッピッチョンと鳴く毎朝同じ時刻障子のそばに来る鳥と馴染んで仕舞った。丁度夏で、蝉が時雨のように昼中騒いでいるし、夜はまた虫の音がとりどりだ。今も鳴いている。

 私はこの椿宿が好きだ。今の椿主人は若く、明るい人だ。椎茸の栽培に腐心しているというので、そのことは談義にはいつも顔が輝く。家前の一と山、所謂馬場山づたいの自分持ちの山には、椎茸林がどこまでもつづいている。それからもう一つこの由緒の湯宿に勝れた厚板一枚の看板がある。実に立派な字だ。書き手は不明なそうだが、厳かな内に開きを見せた正しい楷書で、実際みごとに椿旅館と三字、謹厳に書いている。

 残念なことには後墨がはいっているので、ちょっと弱くなってるのが惜しい。初めてひと月もいる麻蒸を書くのに、書くことは尽きない。善知鳥前、津軽高野山なぞ書く名所もまだあるし、椿・柳・高砂それぞれ名湯の持っている伝説など、筆を伸ばせば際限ない。

------浅虫の地名はね昔は麻蒸で通じていたものだったと聞く。わたくしはやはり昔名をこの題に用いてこの随筆に『麻蒸』を使うた------

~「板散華」(昭和17年刊)~